古書や骨董が好きです。歴史など調べるのことが好きですが、結構あきっぽく中途半端です。素人ですが、見たこと、聞いたこと忘れないうちに書いておきたいと思います。
by ふく
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江戸川乱歩と苦楽園

明治27年に生まれた江戸川乱歩は早稲田大学を卒業したのち、いろいろな職業を経て大正12年「新青年」に掲載された『二銭銅貨』で文壇に登場しました。

乱歩はその後、初期には欧米の探偵小説に影響をうけたいわゆる探偵小説を発表していますが、しだいに猟奇的な傾向が増し、奇怪ともいうべき通俗探偵小説を書くようになります。そのため、江戸川乱歩というと戦前の女学生が堂々と読むことをはばかるような小説であったことが、北村薫のベッキーさんシリーズ『街の灯』などに出て来ます。

ところで、小林信彦が、谷崎潤一郎邸に原稿を催促にいき、国鉄の夙川踏切で列車事故にまきこまれて亡くなった渡辺温について書いた『夙川事件ー谷崎潤一郎余聞』という一文があります。これはもともと文学界に発表されましたが、『四重奏カルテット』という単行本にまとめられています。

この本は「夙川事件」、「半巨人の肖像」、「隅の老人」、「男たちの話」からななり、江戸川乱歩の推薦でミステリー雑誌の編集長をした小林信彦ならではの作品が集められています。この本のことはまたの機会に書くことにいたしますが、「夙川事件」については乱歩もかつて「探偵小説四十年」ありました。

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『探偵小説四十年』は雑誌に十年以上にわたって連載された自伝で、完結した昭和36年に単行本として出版されました。私が手にしたのは江戸川乱歩全集という光文社からでている文庫本ですが、分厚い本です。ですから全部を読むということなく、ぱらぱらとめくっていますと、苦楽園に関する記述がでてきました。解読するまでにはいたりませんでしたが、忘れそうですので、ここにとりあえずあげておくことにします。

大正14年の記事で、「探偵ページェント」という項目になっています。

 大阪での探偵趣味の会の一番大きな催しは、大正十四年十月、六甲苦楽園でやった渡瀬淳子一座の探偵ページェントであった。そのときの記事が「探偵趣味」ではなくて、当時大阪で出ていた「映画と探偵」第一号に詳記されているので、次に抜粋してみる。渡辺淳子は沢田正二郎の恋人で、宇野浩二氏の初期の長編「女怪」女主人公であったと思う。芝居は下手だったが、そういう意味で非常に有名な女性であった。又、「映画と趣味」は二号でつぶれた[わけではない]雑誌で、三好正明という人が経営者兼編集長であった。。
「探偵趣味の会十月例会をかねて、渡瀬淳子演劇研究所員のページェントが、十月二十五日午後二時から、阪神沿線六甲苦楽園内で開催された。 越木岩稲荷付近で演ぜられた春日野緑氏脚色探偵劇『幽霊探偵』は探偵助手に扮した松井一郎氏が二階から綱を伝わって降りる途中で、手が辷って怪我をしたほどの猛闘ぶり、吉井康氏の探偵長と坪内都志子の妖術を使う女とが秀逸、終始観客を緊張させたのは流石であった。(中略)この日の観客約五百名、苦楽園として近来稀に見る盛況で、観客の中には大阪朝日の下村専務をはじめ阪神沿線の名士達が婦人令息令嬢たちを同伴しての見物が少なくなかった。
 ページェントが終わってから、会員の記念撮影をしラジウム温泉に浴し、佐々木苦楽園支配人の肝いりで晩餐会を開いた。参会せるもの、江戸川、春日野、横溝、平野、岩崎、顕考(中略)などをはじめ、わざわざ名古屋から来会した潮山長三氏、東京から来られた額田六福氏を同伴した『苦楽』編集長の川口松太郎君ら、それに渡瀬演劇研究所の人々が加わって歓談に花が咲き、一同が山を下って下界の人間になったのは九時すぎであった。

 大正14年の10月25日午後2時から、阪神沿線六甲苦楽園内で渡瀬淳子演劇研究会のページェントがあった。
渡瀬敦子と宇野浩二 http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/wataseJunko.htm
(乱歩はこの当時大阪毎日新聞勤務)http://www.tokyo-kurenaidan.com/ranpo5.htm

 越木岩稲荷付近で、春日野緑氏(大阪毎日新聞、探偵小説家)脚色探偵劇「幽霊探偵」が上演された。
http://homepage3.nifty.com/DS_page/kasugano/list.htm

 観劇客には大阪朝日の下村専務(下村海南-苦楽園在住)をはじめ阪神沿線の名士達が婦人令息令嬢たちを同伴しての見物が少なくなかった。

 佐々木苦楽園支配人の肝いりの晩餐会があり、江戸川、春日野、横溝(後略)をはじめ『苦楽』編集長の川口松太郎君ら、渡瀬演劇研究所の人々がくわわって下山したのは九時すぎだった。 


ラジウム温泉について(絵はがき1000円だそうです)
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というようなことが書かれています。越木岩稲荷?これは現在の神社の周辺のことでしょうか。苦楽園温泉から見ると少し位置が離れるのですが、ここで演劇の公演があったのでしょうか。五百人といえばかなりの方が来られたことになります。

渡瀬淳子、春日野緑、川口松太郎などが苦楽園に集まったことがわかります。この人々の名前を個別に調べて行くと意外な人脈がうかびあがります。

この年「苦楽」に『人間椅子』が発表されています。この「苦楽」は中山太陽堂が発行していた雑誌でした。(「苦楽」や登場人物についてはまた後日)「映画と趣味」という雑誌については残念ながらふつうに検索しても所蔵図書館などは見いだ
せませんでした。
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by shukugawans | 2013-08-26 15:55 | Trackback | Comments(0)

新村出 南蛮更紗

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先日のサンチカ古書市で、新村出の南蛮更紗を購入しました。

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重版ものでしたので、安かったのと、表は少しよごれていますが、
大正年間の刊行物で紙もよく、表紙の更紗風の木綿布の装丁の状態が良かったからです。

新村出という名前はたぶん皆様も無意識に目にされたと思います。

広辞苑です。
http://www.iwanami.co.jp/kojien/

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以前はこんな感じで、先生のお名前が背表紙にありました。
このお写真を載せおられる下の頁が的確にまとめておられます。
http://www.lexicon.jp/pages/kojien.html

第一版は1955年5月25日に発行されました。
新村出編「辞苑」という辞書が1935年にだされており、その改訂・増補だそうです。

この方のお名前、よく見たのですが、
読めませんでした。しんむらかにいむらか、いずる?かと思っておりました。
今ならネットで調べてすぐに覚えるところですが、

そういうわけにもいかなかったので、漢字で覚える。
それがかえって脳を刺激したのか、
それともそうでなかったのかは不明です。

できるだけ、間違った読み方を口にするのは避けてきました。
といっても、まめではないので、辞書をひくのがかなりめんどうでした。
そのため、ながらく「しんむらいずる?」状態が続きました。

今ではこの辞書がテキスト化されており、
携帯辞書やパソコンでも使えるようになっています。

持ち歩けないので、ふだんは岩波の国語辞典を使っていましたが、
文字校正をするとき、一番よく使ったのがこの広辞苑でした。

先日舟を編むを読んで新村先生のことを思い出しました。

新村先生は1876年に山口県で生まれた方で、東京帝国大学をご卒業、イギリス・ドイツ・フランス留学などを経て、後に京都帝国大学に赴任され1935年まで、言語学の講座を持たれていました。

その新村先生が、辞書編纂以外に名をのこされているのがキリシタン研究です。
私は学生時代から日本からヨーロッパに輸出された蒔絵螺鈿の漆器に興味がありましたので、先生の著書の存在はかなり早くから知っていて、「南蛮記」はさらっと目を通したことがありました。

「南蛮」ということば、
いまは南蛮漬け、カレー南蛮、鴨南蛮、南蛮黍などということばがあり、
長ネギや唐辛子などの料理をさして使うといいます。

本来は、中国の中原にいる漢民族が南に住む異民族をさして使ったことばで、
南蛮、北狄、東夷、西戎の四つの夷をさすものの一つでした。

日本は朝鮮半島や薩摩の島々を蛮としていたので、室町末期に日本にやってきた南ヨーロッパから来た人々を南蛮とよんでいたそうです。

新村先生の南蛮、キリシタン研究は、室町末から桃山にかけて来訪した宣教師が書いたキリシタン版といわれる書物の言語学的研究からはじまったと思われます。彼らが書き残したものを通して、言語のみならず、当時の日本の歴史、風 俗などを研究され、『南蛮記』などを書かれています。

http://www.city.kyoto.jp/sogo/hisyo/honor_06.html

『南蛮更紗』は平凡社の東洋文庫に再刊されています。

でも、改造社版と書かれたこの布表紙の本。
新村先生は新仮名遣いや形容動詞を容認されない立場にたたれていたと書かれています。そんなこともあり、この旧版でゆっくり読んでみたくなります。


昔は、話しの筋道を早く知りたくて、自分の興味のあるところだけをさらっと目を通すような読書しかしていませんでしたが、年とともにもっと落ち着いていろいろ学んでおけばと残念になります。
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by shukugawans | 2013-08-11 11:16 | 古書のこと | Trackback | Comments(0)