古書や骨董が好きです。歴史など調べるのことが好きですが、結構あきっぽく中途半端です。素人ですが、見たこと、聞いたこと忘れないうちに書いておきたいと思います。
by ふく
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カテゴリ:西宮のこと( 14 )

阪神あまカラ①

古本市で購入したのじきく文庫「レジャーの兵庫県」(昭和42年発行)。
この本は目次をみますと、巻頭には「日本のなかの観光兵庫」という足立巻一先生の文章も掲載されており、ぱらぱらと拝見すると、面白いのです。〈味〉というテーマのなかに淺田柳一さんの書かれた「阪神あまカラ」という文章があります。
 淺田柳一さんというお名前を調べてみますと、実は飯田寿作さんの遺作をまとめて昭和49年に刊行された『酒都遊観記』に「酒都歳時記」を寄稿された方でもあり、『なにわ歳時記わすれかけている庶民史』(昭和56年)という著書もありました。西宮ゆかりの方と見えます。
 まずは導入部、少し読んでびっくりしました。「外食することが多いボクは、ハシ袋を集めることがクセになった。それも少々手のこんだ集めかたである。というのは、袋の横へ何月何日、だれとだれと飲んだ。ワリカンで払ったか、だれがオゴったか、うまいか、まずいか、高いかか安いかなど、こと細かに書き込んである。いわば”食べ物日記”。表紙には「割り箸巡礼」と書いてある。とありました。
 実は今までお二人、そういう癖のある方を存じあげています。当時流行ったのでしょうか。それはさておき、西宮市の冒頭で紹介されているのは〈大半〉という和菓子のお店です。残念ながら私は存知あげませんが、西宮では一番古風な菓子店。嘉永年間、大和屋半兵衛創業。当主で四代目。戦前は札場筋に店があったのですが、戦災で全焼。いまは阪神東口から東へ、松原神社の途中にあるのだそうです。
 ここのモナカと上用は、明治時代から西宮の代表銘菓として知られていた。材料を厳選、ひょうたん型のもなかだそうです。もなか15円、上用20円。「大半菓子舗」とありました。値段は現在とは比較のすべもありませんが…。

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 さて、西宮東口の周辺のようです。土地勘がないので、いまはどうなっているのかわかりません。Google Mapを見ると、お店が写っています。どなたかご存じのかたがおられましたらご教示くださいませ。
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by shukugawans | 2012-10-01 21:55 | 西宮のこと | Trackback | Comments(1)

夙川のハーブガーデン

夙川にかかる苦楽園口橋(苦楽園口からすぐ東側の橋)
を渡ったところの、河川敷東側の道との交差点の信号の一つ南側の信号、

近所の人はすぐわかるのですが、知らない人に説明するのがとても難しい場所です。
ところが、新しいブログにできた地図機能を使えば簡単に説明できます。
実はこの信号を東南に斜めに入っていくとその右側にとてもきれいなハーブガーデンがあるのです。

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どなたの土地にどなたが作られているのかわかりませんが、時々水やりをされているご夫婦をみかけたりします。徐々に植物が増えてとてもきれいになりました。
(以前にのにさんがご紹介くださったのではなかったかと思います)

夏の終わりから初秋にかけて、ハーブが勢いを盛り返し、お花がとてもきれいに咲いていたので、数日前写真にとりました。
昨日の台風大丈夫だったでしょうか。

残念ながら、昨日の風で我が家のチェリーセージは一本元気がありません。
もちなおしてくれるとよいのですが。
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by shukugawans | 2012-10-01 11:08 | 西宮のこと | Trackback | Comments(0)

犬と歩く夙川

一昨日まで、
西宮市のポータルサイト、西宮流で「犬と歩く夙川」というブログを書いていました。
「犬と歩く夙川」への投稿のうちブログタイトルの話題にそった内容のもののみ
をまとめたのがこのエキサイトブログでした。

ところが閉鎖になり、「犬と歩く夙川」はエリアブログ 西宮ブログに移行。
ただし、新ブログのアドレスを旧ブログで告知してくださっていないので、
探しにくいこと甚だしいです。

ポータルサイト西宮流の中に設置してありましたブログはこちらに移転しました。
と、とりあえずここにお知らせしておきます。

http://new1.areablog.jp/page.asp?idx=1000061521
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by shukugawans | 2012-09-30 16:18 | 西宮のこと | Trackback | Comments(0)

吉井貞俊さんの展覧会

先日、imamuraさんに教えていただいて、
最終日の午後、なんとか西宮神社にいって
権宮司さんの流れ絵の展示を見ることができました。

二十年以上前に最初に私が作品を拝見したのは、
会館の屋根裏のようなところだったと思うのですが、記憶違いかもしれません。

今年はいつもよりもたくさんの作品がでておりまして、
帰り際にに「貞俊の生涯」と題された冊子をいただきました。「付図」と「追伸」もいただきました。

県立西宮病院から見渡した絵が加わっていたのが印象的で、
表紙には甲山が描かれていました。

伊勢のご出身ですから、阪神電車が近鉄とつながったことがを
お喜びなのだはないでしょうか。三宮と賢島が直通列車で年内につながるという新聞記事のスクラップが掲載されていました。

権宮司さんのことです。お元気になられて、
その一番電車の車窓からの景色を流れ絵に描いて
来年展示してくださることと、思っています。
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by shukugawans | 2012-08-23 11:58 | 西宮のこと | Trackback | Comments(1)

夙川無二の森...といいつつ

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夙川、無二の森
その封印が今、解かれる。
ここ夙川の地にあって唯一無にの森がある。
それは、かつてこの森のほとりに居を構えた、
貴人達が愛した風雅な聖域。
人々は足を踏み入れることが
叶わなかった深緑の森に、
凛として、鮮やかなる邸が建ち上がる。
歳月を重ねた夙川邸宅街の風格と、森の静謐。
脈々と受け継がれてきたこの地の作法に適う
居宅としての存在感を身に纏って。

......................

たまたまyahooを立ち上げたらこんなマンションの広告がでてきました。

3月にブログでショッキングな様子をご紹介しましたが、
あの西宮にのこった古墳を壊して造成されるマンションの宣伝です。
http://shukugawan.exblog.jp/17976092/


無二の森を平気で破壊しておいてよくいうよという感じです。


興味のあるかたはごらんください。
なんとなくあほらしくなりますから。
お住まいを検討されているかたには申し訳ないですが... .

さきほど西宮芦屋研究所さんのブログを読んだ後でyahooの動画広告窓にでてきたため、すぐにアップしてしまいました。
http://www.proud-web.jp/kansai/mansion/takatsuka/

******************************
西宮流ブログにいただいたコメント追記しました。

なんというか、開いた口がふさがりません。私はご当地に縁のない極貧の身ですけれど、どうにもやりきれません。
「知恵はあっても知性が全くない」
「勘定は達者だけれど感情は貧しく感受性のかけらもない」
人達の所業にしか思えませんね。
[ せいさん ] 2012/08/14 10:41:14 [ 削除 ]
広告屋という連中は何とでも書くのものです。
貴人たちも草葉の陰でビックリ!
背景を識る(知る)者にとっては誠にアホらしいコピーです。
今お口あんぐりでパロディを考えてます

[ 笹舟倶楽部 ] 2012/08/14 11:32:21 [ 削除 ]
せいさん このずうずうしさにあいた口がふさがりませんでした。ちょっとした木でも伐るのをためらう人がいる一方で、わかっていて伐採しまくるって、民度が低すぎるように思いますが、経済効率優先といわれればそれまでです。こういう緑地を保存する方向で自治体と住民が動くところも多いのですが、どうも西宮というところはそうはいかない自治体のようです。どんな方々が引っ越してこられるのかわかりませんが、隣の山が削られる時にはどうされるのでしょう。
[ ふく ] 2012/08/14 22:35:20 [ 削除 ]
笹舟倶楽部さん  みんなのお口があんぐりなんでしょうね。 ブラボーもののパロディ拝見しました。アンチ広告したいですね。
[ ふく ] 2012/08/14 22:36:48 [ 削除 ]
ほんの出来心で完成度も低いですが、私も参入しました。
[ せいさん ] 2012/08/14 23:53:53 [ 削除 ]
せいさん。笹舟さんもせいさんもざぶとん三枚~の世界です。
ディベロッパーのかたに読んでもらいたいです。
[ ふく ] 2012/08/16 0:41:38 [ 削除 ]
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by shukugawans | 2012-08-14 09:50 | 西宮のこと | Trackback | Comments(0)

高塚山が壊されて...

阪急神戸線の北側、西宮市と芦屋市の市境の西宮側にある小さな山は高塚山とよばれています。山の南側は公園になっていますが、実は個人所有で持ち主の家がありました。

seitaroさんが「須賀敦子が少女時代をすごした夙川の家」を紹介されていますが、そのすぐ裏山にあたります。高所から見ると、緑の残る貴重な場所です。
http://goo.gl/08mSs

ところが、きょう芦屋からの帰りに、いかりスーパー芦屋店の北側の南北の道を東に走っていると、あれ?つきあたりにあったはずの緑の森がなくなっています。おそるおそる近寄ってみると、あれれ、森の一部が壊され宅地になっているではありませんか。

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この写真の正面は東側ですので造成地の中央部は殿山町に抜けていると思います。


なんだかこの下の文書が関係ありそうですが、住民監査請求のようなものでしょうか。
http://michie-net.com/pdf/20120120.pdf
そして、どうやら監査請求は却下されたようです。
http://www.nishi.or.jp/media/2011/kansaseikyu44.pdf

おそらく来年の秋には立派な100個に近い数の集合住宅がつき
住民が数百人増えることでしょう。


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不動産屋さんのブログには以下のようにあります。
http://www.apamanshop-hyogo.com/28009215/915080

住んでいる人にとっては、緑が多く静かで住みやすい場所ですが、
住んでいない人、宅地を斡旋する人にとっては、
住民の少ない場所なので、開発してしまいたい場所となり、
利益は相反します。

ということですが、気になるのはここにあったという古墳のことです。
兵庫県考古博物館作成の地図によれば三基の古墳があり、うち二基は破壊されてしまって消滅しています。一基はのこっているようですが、大丈夫でしょうか。
http://www.hyogo-koukohaku.jp/guidance/pdf/map096.pdf

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こちらは東に向かって左手、北側の写真です。

田岡香逸先生の『西宮地名考』によれば、残存している東高塚は西側の斜面が削り撮られ、まさに崩壊寸前とありますので、今回造成している場所よりさらに北(すぐの写真)に当たるように思われます。ならばこのたびは大丈夫なのでしょうか。周辺からは須恵器なども出土していたようですが、そのあたり、いったい今回はどのように検証したのでしょうか。

近年の市政はまだ開発主体の姿勢を続けているように思います。震災後は大きな邸宅にかわってどんどんマンションが建ち、流入する人口が増えたため、小学校が満杯になった地区もあり、おかげで大規模マンションの建築が減ってちょっとほっとしています。いま考えると人口が少なかった頃の夙川は一戸建てか低層のビルばかりで、飲食店も殆どなく不便でしたが、車も少なく今よりも静かで、夏は風が涼しく、住みやすい町でした。
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by shukugawans | 2012-05-13 18:51 | 西宮のこと | Trackback(1) | Comments(2)

付録 さくらの夙川展資料

第四回歴史資料公開 さくらの夙川 西宮市情報公開課 配付資料です。

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※皺になってしまいました。
何かご興味のある写真がありましたら、一応メモ程度ですが手元にありますのでお知らせください。
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by shukugawans | 2012-04-14 00:41 | 西宮のこと | Trackback | Comments(0)

阪神合同バス

先日みつけた阪神間情報の宝庫、関西学院新聞、昭和五年六月二十五日発行の移転一周年記念号にあるバスの広告がとても気になりました。

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阪神合同バス 乗心地のよい銀色車輌運転 賃金一九金十銭

安くて御便利な 各線共通回数券 二十区 金一円八十銭 車輌ニテ御買求メク下サイ

とあります。

そして大阪から十三、十三から豊中、池田経由で宝塚へ、
十三から塚口、西宮北口、夙川、芦屋川、神戸
さらに宝塚から西宮北口を経て今津。
塚口から伊丹、夙川から甲陽園への阪急電車の線路のみ鉄道が描かれ、

それを保管する形でバス路線が描かれます。

十三から野里、千船(阪神沿線へ)

十三から豊中石橋を経て池田(阪急に並行しています)

石橋から箕面(電車の線路が描かれていません)

箕面から石橋を経て悼みを通り門戸厄神を経て西宮本町へ(これは国道171号線西国街道沿いです)
(行基の墓や、門戸厄神が描かれています)

宝塚から武庫大橋(国道二号線の武庫川に架かる橋)へ。

甲陽園と苦楽園から苦楽園口を経て夙川経由で香櫨園海水浴場へ。
そして夙川からは途中分岐して西宮本町へ。
西宮本町からは今津を経て、甲子園グランドへ。

また芦屋川からは遊園地を経て浜芦屋海水浴場へ、

以下のブログに次のように書いてありました。
http://www.geocities.co.jp/kippu2010/Sonota/sonota02.htm

阪神急行電鉄は浜芦屋や香櫨園などで直営バス路線を経営していましたが、阪神合同バスを傘下にしたのちは直営の路線を阪神合同バスに移管しました。
 右上が昭和5年ごろの阪神合同バスの営業路線略図です。現在の国道171号線にあたる西国街道だけでなく、当時、競争関係にあった阪神電気鉄道の領域ともいえる甲子園や西宮本町、西宮戎神社にも路線を伸ばしていました。

と、こちらが路線です。

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この阪神合同バズ、豊中から豊中中学へと、石橋から宣真高女へ、甲東園から関西学院という三本は通学路線です。関西学院新聞に広告が載ったのは関学路線を持っていたからでしょう。

阪神合同バスという名前ですから阪神バスの前身かと思ってしまいますが、これは阪急バスの前身でした。昭和二年の開業当初はは苦楽園温泉への湯治客を輸送するため、阪神香櫨園と苦楽園温泉を結んで運行していたのですが、その後他のバス事業者を統合して阪神合同バスとなり、戦後阪急バスとなったのだそうです。

つまり甲東園から上ヶ原にはずっと阪急バスが走っていたのですが、他の地域では路線バスがなくなったり、阪神バス路線となっていたりしたのですが、また現在は阪神と阪急が統合され、同じ会社
となっています。

 
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by shukugawans | 2012-04-14 00:09 | 西宮のこと | Trackback | Comments(1)

さくらの夙川

西宮市の南西部を南北に流れる夙川の河川敷は、昭和26年3月、戦災復興事業の一環として「夙川公園」が都市計画決定され、河川敷を公園化し河畔松林の全面的な保全をはかることになったそうです。
夙川に当時市長だった辰馬卯一郎によって1000本の桜が植えられたのは、その二年前のことでした。
その後、桜は見事に成長し、平成2年に日本さくらの会選定による「日本さくらの名所100選に選ばれました。

現在では桜の総数は1680本、内訳はソメイヨシノ1200本、ヤマザクラ70本、オオシマザクラ110本、カンザン100本 その他フゲンゾウほか15種だそうです。
この公園は河川敷であることから、従来より川の両眼は松林となっており、1520本の松があるそうです。
この河川敷の整備は昭和12年に行われました。
http://www.nishi.or.jp/contents/00003619000400010.html

西宮市役所情報公開課では、毎年、歴史資料写真展として、収集された市内の貴重な写真を整理公開しておられます。今回はその四回目にあたります。

会場は西宮市役所東館8回にある情報公開課の廊下で、整理されたなかから選ばれた写真が拡大してプリントアウトされ、ラミネート加工され貼り付けられていました。

その展示構成は主に、夙川、満池谷ですが、ほかにも上ヶ原や御手洗川周辺のものもあり、大正から昭和にかけてのものでした。
夙川については昭和12年に西宮市が発行した「夙川公園概要」という冊子に掲載された夙川河川図を拡大して貼り、桜の写真に付した番号が地図で確認できるようになっていました。
下図はその一部分で、阪急夙川駅をはさんだ夙川です。左手端が昔は国道といっていた、
阪神国道(現在の2号線)。
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さて、写真は9番。国道からトラックが堂々と進入していくのは
現在のオアシス道路。(国道2号線にかかる夙川橋)
昭和32年です。道路の真ん中には路面電車の敷石も見えます。

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次の写真は大井手橋の南側。12番の写真です。
後述しますが、情報公開室のパソコンには当時の周辺の写真がたくさんあり、
三角錐の形をしたぐるぐるまわる遊具など懐かしい遊具がたくさんありました。

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もう一枚は、片鉾池の南側から新しくできた松下公民館を見た図です。
昭和43年に池を埋めて、新しくできた部分に植樹され2年目の桜ということになります。
桜は成育が早いようで、60十年寿命説もあるそうですが、今ではおそらくりっぱに咲いているはずです。

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そういえば、JRの線路のすぐ北にあった小さな橋。
阪神大震災で倒壊したまま、復元されなかったように思いますが、
その橋の写真はなかったように思いました。

展示の最後には「展示した以外の写真を室内のパソコンで見ることができます。お時間のある方はどうぞお寄りください。」とありました。ので、お邪魔してみました。

情報公開課ですので、本来は情報公開請求された資料の閲覧に対応する場所なのだと思います。入り口のパソコンには、今回だけではなく、第三回までの写真、阪神パーク・西宮戎に関する写真が分類保管されていました。

展示されていない写真には、昭和52年建設中のグリーンタウンが写っている夙川の景色、大井手橋の北側の河川敷にぽっつり一つだけ屋台がある昭和49年の写真、水道施設への坂にまだ屋台がある昭和50年の満池谷、桜並木が殆どない昭和32年の上ヶ原、昭和29年の西宮戎の航空写真があったり、昭和41年の「福あめ」の写真があったりして、かなり楽しめました。


次回はこの5月から6月にかけて、レジャー夏 だそうですので、香櫨園や甲子園の海水浴場のお話などがでてくるのでしょうか。鳴尾のゴルフ場とかもでてくるとうれしいのですが...。
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by shukugawans | 2012-04-13 07:30 | 西宮のこと | Trackback | Comments(0)

関西学院新聞と蕎麦更科

さきほど、校歌「空の翼」やポプラ並木について、
何となく調べていたところ
関西学院大学図書館デジタル資料「関西学院新聞」があるのをみつけました。
http://library.kwansei.ac.jp/e-lib/KG-shinbun/no4.htm

昭和4年4月発行代三十九号をなにげなくみていたところ、
http://library.kwansei.ac.jp/e-lib/KG-shinbun/KGSHINBUN036.pdf

3ページ目に意外な記事を発見。

蕎麦屋の広告です。

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「お引き立てを乞うふ!!

生そば うどん

並ニ 丼物一式

其他 テンプラ


新世界 更科本店
道頓堀 更科支店
高麗橋 更科支店
仁川  更科支店

(但シ関西学院正門下商睦会内) 電話宝塚三二六番」


と、あります。

道頓堀と高麗橋は未調査ですが、

新世界には今でも更科本店があり、通天閣チャンネルによれば

「明治42年、初代毛受辰蔵さんが本町に東京風天ぷらと蕎麦の専門店として創業。明治45年、初代通天閣の開業に合わせて今の地に移転。現在は三代目常次さんと四代目敬一さんが店を守る。」とあります。
http://www.728tv.com/tutenkak/gourmet.html
http://r.tabelog.com/osaka/A2702/A270206/27002821/dtlrvwlst/1059231/


道頓堀更科は「1927年(昭和2年)、新世界の更科で修行をしてきた初代が、道頓堀のこの土地で開業致しました。今では3代続く老舗として、83年目を迎えております。」とブログにあります。
http://locoplace.jp/t000090536/

高麗橋更科はたぶん、北浜更科
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270102/27003131/

すごい... もう開業以来おそらく三代か四代でしょうが...どこも健在。

ところで、仁川はどうなったのでしょうか...。
私が学生時代には確かに正門を仁川の方に降りて、
左にまがったところに更科があり、
閉店寸前の感じがしていました。
そういえば、この蕎麦屋はどこかの支店といってる人がいたけど、
発祥は東京で、新世界経由仁川だったのですね...

更科を称する蕎麦屋さんは関西にも多いですが、昭和初年における
この四店の関係はおもしろいです。
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by shukugawans | 2012-04-11 23:30 | 西宮のこと | Trackback | Comments(0)