古書や骨董が好きです。歴史など調べるのことが好きですが、結構あきっぽく中途半端です。素人ですが、見たこと、聞いたこと忘れないうちに書いておきたいと思います。
by ふく
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カテゴリ:古書のこと( 6 )

新村出 南蛮更紗

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先日のサンチカ古書市で、新村出の南蛮更紗を購入しました。

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重版ものでしたので、安かったのと、表は少しよごれていますが、
大正年間の刊行物で紙もよく、表紙の更紗風の木綿布の装丁の状態が良かったからです。

新村出という名前はたぶん皆様も無意識に目にされたと思います。

広辞苑です。
http://www.iwanami.co.jp/kojien/

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以前はこんな感じで、先生のお名前が背表紙にありました。
このお写真を載せおられる下の頁が的確にまとめておられます。
http://www.lexicon.jp/pages/kojien.html

第一版は1955年5月25日に発行されました。
新村出編「辞苑」という辞書が1935年にだされており、その改訂・増補だそうです。

この方のお名前、よく見たのですが、
読めませんでした。しんむらかにいむらか、いずる?かと思っておりました。
今ならネットで調べてすぐに覚えるところですが、

そういうわけにもいかなかったので、漢字で覚える。
それがかえって脳を刺激したのか、
それともそうでなかったのかは不明です。

できるだけ、間違った読み方を口にするのは避けてきました。
といっても、まめではないので、辞書をひくのがかなりめんどうでした。
そのため、ながらく「しんむらいずる?」状態が続きました。

今ではこの辞書がテキスト化されており、
携帯辞書やパソコンでも使えるようになっています。

持ち歩けないので、ふだんは岩波の国語辞典を使っていましたが、
文字校正をするとき、一番よく使ったのがこの広辞苑でした。

先日舟を編むを読んで新村先生のことを思い出しました。

新村先生は1876年に山口県で生まれた方で、東京帝国大学をご卒業、イギリス・ドイツ・フランス留学などを経て、後に京都帝国大学に赴任され1935年まで、言語学の講座を持たれていました。

その新村先生が、辞書編纂以外に名をのこされているのがキリシタン研究です。
私は学生時代から日本からヨーロッパに輸出された蒔絵螺鈿の漆器に興味がありましたので、先生の著書の存在はかなり早くから知っていて、「南蛮記」はさらっと目を通したことがありました。

「南蛮」ということば、
いまは南蛮漬け、カレー南蛮、鴨南蛮、南蛮黍などということばがあり、
長ネギや唐辛子などの料理をさして使うといいます。

本来は、中国の中原にいる漢民族が南に住む異民族をさして使ったことばで、
南蛮、北狄、東夷、西戎の四つの夷をさすものの一つでした。

日本は朝鮮半島や薩摩の島々を蛮としていたので、室町末期に日本にやってきた南ヨーロッパから来た人々を南蛮とよんでいたそうです。

新村先生の南蛮、キリシタン研究は、室町末から桃山にかけて来訪した宣教師が書いたキリシタン版といわれる書物の言語学的研究からはじまったと思われます。彼らが書き残したものを通して、言語のみならず、当時の日本の歴史、風 俗などを研究され、『南蛮記』などを書かれています。

http://www.city.kyoto.jp/sogo/hisyo/honor_06.html

『南蛮更紗』は平凡社の東洋文庫に再刊されています。

でも、改造社版と書かれたこの布表紙の本。
新村先生は新仮名遣いや形容動詞を容認されない立場にたたれていたと書かれています。そんなこともあり、この旧版でゆっくり読んでみたくなります。


昔は、話しの筋道を早く知りたくて、自分の興味のあるところだけをさらっと目を通すような読書しかしていませんでしたが、年とともにもっと落ち着いていろいろ学んでおけばと残念になります。
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by shukugawans | 2013-08-11 11:16 | 古書のこと | Trackback | Comments(0)

シュールレアリストは莫大小下着を着る

古書市最終日、袋一杯つめ放題五百円が気になりましたが、
時間もなかったのであきらめて、
古書市の狙い目はワゴンに数百円で積んである本と書いてあったのを思い出し、
ふと立ち止まると、広告界という雑誌がその山のなかにありました。

「広告界」は誠文堂が1926年から1941年まで刊行していた広告関係雑誌だそうです。購入したのは昭和5年、1930年の2月号です。
この本を含めて「生活美術」絵本特集(昭和18年)と、「商業美術教本」上下二冊の都合四冊の雑誌を700円で買いました。

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雑誌の後ろをめくると、2000円との鉛筆書きがあり、ちょっとうれしくなりました。編集長はグラフィックデザイナーでもあった室田庫造という人だったそうです。

面白そうな記事がたくさんありますが、ふと目にとまった頁、
左側には「春はモスリン」多田北鳥(1889-1947)とあります。

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多田北鳥はキリンビールのポスターが有名だそうです。
http://www.geocities.jp/c50110/hokuu/index.html
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/444/1/AN00044182-65.pdf
モスリンは薄手の平織りの羊毛で、戦前の普段着の着物の素材として用いられました。そういえば尼崎と大阪の境の神崎川に付近にあったモスリン工場が初代の橋を架けたという毛斯倫大橋が今でもあるそうです。

そして右側を見ると、こちらは例えばシャツの広告とあります。
モダンな画風は東郷青児です。
東郷青児も広告デザインの仕事を手がけており、戦前から安田火災の仕事をしていました。
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/024.html

東郷青児というと独特な女の人の絵が頭に浮かびます。朝日会館にあったレストランアラスカの壁画も担当されたそうで、確か小学生の頃に好物だった阪神百貨店のアラスカにも壁画とはいきませんが衝立があったと思います。カレーとアイスクリームを待ちながら、この妙な女の人の壁画が少し不気味だと思って見ていました。

シャツの絵と女性の絵は直ちにリンクしませんが、同じく現損保ジャパン(元安田生命)がご所蔵の「超現実派の散歩」。シャツの絵を見てふと思い出しました。

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シャツ着ているの人と似ていました。この絵は1929年で雑誌は1930年。作品とシャツの広告は...妙なところで繋がっている。当時は今と違い純粋美術と商業美術を分け隔ていた時代と思っていました。でもこんなこともあるんだ、..... 、と、思いました。

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by shukugawans | 2013-05-03 18:17 | 古書のこと | Trackback | Comments(0)

畿内見物 大阪の巻

本好きの一家に育ちましたが、残念なことに戦災にあっていますので、
今残っているのは戦後の本ですが、古書で購入したのか、数冊戦前の本があります。
以前の家は地下に書庫があって、薄暗く湿度の高い場所でしたので、
本も傷みますし、そこに入って本を探そうという気になりませんでしたので、
家に昔からあった本を見るようになったのは最近のことです。

こんな本があったのかとびっくりしたのは金尾文淵堂
という大阪にあった出版社が出した『畿内見物 大阪の巻』という本でした。

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箱は失われており、

表紙は高いお堂のようなところから海の方向を見た図。
古風な図なのですが、海岸縁には工場の煙突から出る煙が描かれているという
ちょっと不思議な雰囲気です。

見返しは前のみで後ろは奥付の裏に貼り込まれていて
とりだせませんが、前が浪速踊りで後ろが住吉踊りのようです。
そんなに古くはみえないのですが、
奧付けをみると明治45年(1912)の発行とあります。

表紙の風景は高台にある社寺から見ているところから
上町台地ということはわかりましたが、
最初高津神社の絵馬堂かと思ったのですが、
ならば絵馬を書くはず。
戦前、大阪からはるか海をみわたせたお堂。
目次を見て、四天王寺の五重塔だとわかりました。
この塔、室戸台風で倒壊し、再建再び戦災で焼失と悲しい歴史があります。
今は再建されていますが、当時はこんなに遠くまで見渡せたのです。

今は確か毎月22日の聖徳太子の命日にのみ公開されていたように思います。
一度登ってみたいと思います。

ご興味がありましたら、下の近代デジタルライブラリーでモノクロですが読むことができます。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765549/1

金尾文淵堂は明治から戦後まであった大阪の出版社で、
seitaroさんが以前に話題にだされた、
薄田無菫の『白羊宮』や与謝野晶子の『志ら玉姫』を出版しました。
 http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10758386c.html

金尾文淵堂については『金尾文淵堂をめぐる人々』石塚純一という著作が紹介されていますが、この書籍については署名で検索すると、抄訳でしょうか、pdf化されて、ネット上で読むことができます。少し読んで見ると、先行研究として西宮ブログでもimamuraさんの記事によくでてくる足立巻一さんの「文淵堂・金尾種次郎覚書ー大阪時代」、高橋輝次さんの「金尾文淵堂 その人と仕事」などがあるようなこともわかりました。 ほかにもいままで興味がつのります。
 またいままで目にしたことのある杉浦非水による『非水図案集』、甲山の図でとりあげた赤松麟作の『阪神名勝図会』などがこちらから刊行されいたことも思い出しました。

さて、挿絵は中沢弘光(1874-1964) 東京美術学校を卒業後白馬会の創立に加わった洋画家で、官展を中心に活躍したとありますが、同じ方でしょうか。


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by shukugawans | 2013-03-17 12:01 | 古書のこと | Trackback | Comments(0)

続ひょうご古本市の収穫

「「絵はがき」に見る阪急電車70年 という冊子を購入。
阪急電車が昭和55年発行している冊子で、切りとって絵はがきとして使えるような構成です。表紙は開業時のご挨拶、裏表紙が70周年のご挨拶となっています。
総80枚、前半は開業当時、後半は70周年にあたる昭和55年前後の写真を使った絵はがきになっています。

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最初に現在の阪急電車の路線が開通したのは明治43年(1910)、
梅田から豊中を経て石橋。
そして石橋から池田から宝塚。石橋から箕面公園までの区間でした。          

阪急の神戸線はまだ開業していませんが、
当時の西宮は既に、東海道線、阪神電鉄で大阪と結ばれておりました。

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その開通を知らせる絵はがき。見方によってはとても面白いです。

まず、桜と紅葉をあしらう和風であはりますが、デザインされた枠取りの曲線はアールヌーボースタイルです。

赤い線がこのたび開業の路線(箕面有馬電気軌道。現阪急宝塚線ほか)、東海道線が黒い線、阪神電車が点線で描かれています。しかしこの絵はがきには、なぜか既にひかれており阪鶴線と呼ばれていた、大阪と舞鶴をむすぶ現福知山線が描かれていません。競合路線だからでしょうか。

赤い新線は大阪梅田から服部天神、石橋へ。石橋から箕面温泉(その先には勝尾寺)へ、再び石橋から、池田(能勢妙見の文字も見えます)を経て、中山観音、さらに宝塚温泉(清荒神と書かれています)という経路です。

阪急の開業当時は、私鉄が大都市近郊の景勝地や温泉、社寺仏閣への参詣道として整備されたといわれます。箕面電気軌道はこれらの近郊景勝地を結び、宝塚や箕面を観光地として開発、沿線を宅地化する目的をもっていたそうです。

地図には宝塚から西宮へ、宝塚から有馬温泉へとむかってのもう一本赤い別の路線が示されています。阪急神戸線、今津線の計画路線でしょうか。阪急と阪神の合流点は西宮となっていますが、今津のことでしょうか。またこの図には阪急のドル箱となる神戸線の計画が全く示されていません。現在阪急電車は梅田を起点に、神戸、宝塚、京都に電車を走らせているイメージですが、本来は箕面、宝塚からスターとしているという現在とは少し違った当時の阪神間の鉄道路線の計画を見ることができます。

阪急神戸線などの開通は大正9年(1920)
大正10年には宝塚ー西宮北口間、大正15年(1926)には今津まで開業しました。
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by shukugawans | 2012-04-01 00:16 | 古書のこと | Trackback | Comments(0)

加藤一雄の小説は今年もでないかも...、って。

少し前から、郷里の西宮市による西宮流というブログをよく拝見している。
そこで知り合った方の書いておられる関西の詩人について検索していると、
ひょんなこと(私にとってだけひょんなことであり、実際には必然)で、
加藤一雄先生の名前に行き当たった。

実は詩人の天野忠さん、山田稔さんを検索していて第二京都主義というブログを拝見していて見つけた。
http://2ndkyotoism.blog101.fc2.com/

しかも意味深な、『加藤一雄の小説』は今年も出ないかも、という標題だ。

http://3gatsu.seesaa.net/category/1527113-1.html

このブログは「三月書房のブログのようなもの」とあって、
最近は殆どいかないけれど、あの寺町二条の三月書房から出される本のことが書かれているのかなと思った。

この本はどうやら足かけ6年でてないらしい。
なぜなんだかわからないのだけど、
それもまたよし、
私も、便乗ででるまで待ちたい...。

私が20になるかならない頃にお会いした
加藤一雄先生って不思議な方だった。
心臓がお悪かったらしく、
研究室で、パンの入った紙袋をなにげなくふくらませて、
ぱ〜んっとたたいて同席の方から注意された。

20年ほど会うのが遅すぎた。
お会いできるなら今お会いしたかった。

そんな方々にいままでたくさんであってしまっている。
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by shukugawans | 2012-03-27 21:56 | 古書のこと | Trackback | Comments(0)

彷書月刊1986-6の表紙

先日の神戸大古本市で買った雑誌、
『彷書月刊』1986年6月号、特集キッチュ-巷の芸術となっています。

はみ出した美ーキッチュ 池田龍雄
新人類の幼児性ー鈴木志郎康
キッチュからガジェットヘ 上野昴志
革燐同のこと、ヘリコプター派のこと 松田哲夫
石子順造とキッチュへ 今泉省彦
キッチュを売る店 アメノスタンプコイン社野本孝清氏に聞く
以上、6本のエッセイが掲載されています。

ところでこの雑誌の表紙が目をひいます。


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写真提供松田哲夫氏となっており、えべっさんと大黒さんが
大きな広蓋だろうか、お盆を持っていて
その上には「信用」「倹約」、「勉強」、「堪忍」、「責任」などの文字を書いた丸い球が乗っており、小判があふれかえるように吹き出しています。

引札かもしれないこの絵とても印象的です。


「引札とは、江戸時代から明治期にかけての商店の宣伝広告で、現在のちらしにあたります。縁起物の絵柄を刷り込み、年末年始に配られた「正月引札」や暦をすりこんだものなどさまざまな種類のものが作られました。」と、大阪市立図書館のホームページには紹介されています。
エビス、大黒を書いた引札、オリジナルがあって、そこに各店独自の案内を載せて刷るわけですが、いったいどのぐらいの種類があるのでしょう。
https://www.oml.city.osaka.jp/topics/hikifuda.html

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展覧会の記録には二つの図がのっていたので、転載させていただきました。
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by shukugawans | 2012-03-27 15:58 | 古書のこと | Comments(0)