古書や骨董が好きです。歴史など調べるのことが好きですが、結構あきっぽく中途半端です。素人ですが、見たこと、聞いたこと忘れないうちに書いておきたいと思います。
by ふく
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カテゴリ:描かれた阪神間( 5 )

六甲山 谷文晁の名山図会

「西宮あれこれ」という本が読みたくてアマゾンで検索していたところ、800円だったので買ってしまいました。ところが、とどいてびっくり。この本は家のどこかにあるはずと思いだしました。悔しいので家蔵の本は探していませんが、表紙と赤い題字には見覚えがあります。(表紙になっている御前浜の鯛釣りの図以前から見ていたはずなのに忘れて居たこともショックです)アマゾンの古書は表紙の写真がでてこないので、要注意です。
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「西宮あれこれーその自然と歴史を語る」というのが正式の題名で、編集が武藤誠、有坂隆道両先生で、お二人を含む蒼々たるメンバー18人が執筆、昭和54年に西のみ役所が発行しています。内容は発行時に新しく寄稿された文章もありますが、多くは西宮市政ニュースに連載された「新郷土史・西宮あれこれ」から再録されています。そしてこれらの小文は昭和31年から10余年にわたった紙誌編纂事業に編集専門員としてたずさわった先生方によって見いだされた話題からなります。

おそらく、発行された頃に家にあって、ぱらぱらと読んだに違い有りませんが、当時はさほど郷土史に興味がなかったのか、あまり覚えていません。

気になったのは武藤誠先生が書かれた「文芸にあらわれた甲山」という一文のなかにあった谷文晁の『(日本)名山図会』、にある六甲山の絵です。この本は天地人の三冊からなり、六甲山は人の巻の第五図にあたります。(引用の早稲田大学本は「名山図会、文化4年刊です)
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ru03/ru03_00243/index.html


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この名山図会の成立については、南部藩出身の江戸の町医者、河村寿庵(~1815)が関わったといわれています。この寿庵先生なんでも大の山好きで、自宅の屋根に上がって毎朝富士山をながめていたとか。寿庵先生が所蔵していた景勝地の絵を文晁が縮図にして原画を作ったのが『名山図譜』(1805)、それが後に『名山図会』と改題され版を重ねて明治に至ったようです。
(岩手県立博物館だよりより)
http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/tayori/114p2.pdf

武藤先生は、「逆瀬川あたりから南方をのぞんだ景観で、長くのびた六甲の山すそに突き出るように隆起した甲山をえがいてある。」と書かれています。

武藤先生、この文章の中ほどに「甲山をえがいた絵は数多いが...」とも書かれております。私はまだあまり見たことがないので、そんなに多いのかとちょっとびっくりしております。学生時代、史学の研究室から私たちのいた研究室に時々来て、お茶をのんで歓談されていた武藤先生の風貌を思い出すにつけ、なぜあの頃もっと興味をもって調べておかなかったのかと、悔やまれます。
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by shukugawans | 2012-05-14 15:16 | 描かれた阪神間 | Trackback | Comments(0)

西宮の白魚漁を検証する

「歌川国芳と西宮」で、ご紹介した西宮の白魚についてもう少し見ておきたいと思います。
http://shukugawan.exblog.jp/

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この図の上にある駒絵の部分に描かれたのが
「志州西宮 白魚」の図です。

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よく見ると二つの図はよく似ています。

『日本山海名産図会』によると、摂州西宮の入江は、春二月三月の頃、一町(100メートルほど)の区間に五箇所ほど藁五やを作り、両岸に網代木を互い違いにうちます。その間を満ち潮で上がっていた白魚が引き潮で下っていくタイミングをねらって、杭に固定した長い棹の先に吊した四つ手網を引き揚げて白魚を捕るという方法のようです。

四つ手網を使った白魚漁は今でも行われていますが、こだいから宇治川で行われていた網代木を用いた漁法との組み合わせによるのが、西宮における白魚漁の特色だったのでしょうか。
http://goo.gl/Wg7HD


『山海愛度図会』には、このほか「うかがひたい 摂州伊丹酒」、「けむったい 丹波 赤蛙(疳の虫の薬)」などなど近郊の名産もありますので、お楽しみください。http://goo.gl/sDwyi

平戸鯨、丹波鯖釣、伊勢海老網、伊予長濱章魚、越中滑川大蛸、摂津高縄鳬(?)、越後布、讃岐豊島石、備前水母、三河海海鼠、越前雲丹、泉州飯蛸、近江石灰、紀州熊野石苴、志州西宮白魚、飛騨神通川鱒、相州鰹魚鈎、摂州伊丹酒、尾張焼物、美濃木曽川の鯉、陸奥信夫摺、出雲はち蜜、遠江素之殿川鱧(?)、安芸牡蠣、能登サバ、備後たたみ、長門かに、甲州うるし、日向しいたけ、肥後大根、伯耆熨斗、薩摩やき物、豊後しぼり染、豊前小倉縮、但馬鯖、安房かつを、下野稲葉牛蒡、美作高田硯石、大和よしのくず、河内石灰、松前おっとせい(名産)、丹波赤がえる、対馬昆布海苔、蝦夷鮭
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by shukugawans | 2012-04-29 11:45 | 描かれた阪神間 | Trackback | Comments(0)

歌川国芳と西宮

近年人気の歌川国芳が嘉永5年(1852)に版行した大判錦絵「山海愛度図会(さんかいめでたいず)」のシリーズの揃物の一枚に「志州西宮白魚」なる一枚があります。

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「~したい」という副題がある錦絵で、美人の大首絵を描き、諸国の特産物に関わる風景がを一駒描いたものです。駒絵を描いたのは国芳ではなく娘や弟子たちでした。

国会図書館のデジタル化資料のなかには40数枚が掲載されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1306570

画像を見てみますと、菊の模様の着物を着た女性が絵草紙を手にしています。絵草紙の表紙には男が描かれており、題箋には「一勇斎国芳」と書かれています。そして見ていただきたいのは美女の上の色紙形に書かれた風景画です。海辺の景であり、男が杭についるした網のようなものの前に柄杓で何やらすくっています。足下の水面には杭が何本か見えています。

そして、題箋には「続きがみたい」「志州西宮白魚」とあります。

この図を最初見た時、志州とありますから、志摩、三重県に西宮があるのかと思っていたのですが、西宮流を拝見するようになり、え? ひょっとしてと思うようになりました。

そうです。西宮の名産品としてかつて白魚があったということが各所に書かれていたからです。西宮流では今津っこさんの新川で白魚がとれたころで紹介されております。近代の著作では飯田寿作氏『酒都遊観記』、そして江戸期の『山海名産図会』にもあげられています。
http://goo.gl/UzIGz 、http://goo.gl/imuBF
http://www1.s3.starcat.ne.jp/koten/sankpage/sankai45.html

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この国芳の駒絵に描かれた白魚漁の図は『山海名産図会』に蔀関月が描いた西宮の白魚漁の図とよく似ています。実際、国芳は「山海愛度図会』を描くにあたって、平瀬徹斉著、長谷川光信挿画『日本山海名物図会』(1754)、平瀬補世著、蔀関月挿画『山海名産図会』(1799)を参考にしたといいます。したがって、この杭を立てた独特の漁方から見ても志州は摂州のあやまりかと思います。ちなみに
国芳は江戸に居て、この図を描いたわけですから、間違いはあるはずです。下に「山海愛度図会』の目次をあげておきます。ほかにも「飛騨神通川など」誤解に基づく表記が認められます。

平戸鯨、丹波鯖釣、伊勢海老網、伊予長濱章魚、越中滑川大蛸、摂津高縄鳬、越後布、讃岐豊島石、備前水母、三河海海鼠、越前雲丹、泉州飯蛸、近江石灰、紀州熊野石苴、志州西宮白魚、飛騨神通川鱒、相州鰹魚鈎、摂州伊丹酒、尾張焼物、美濃木曽川の鯉、陸奥信夫摺、出雲はち蜜、遠江素之殿川鱧(?)、安芸牡蠣、能登サバ、備後たたみ、長門かに、甲州うるし、日向しいたけ、肥後大根、伯耆熨斗、薩摩やき物、豊後しぼり染、豊前小倉縮、但馬鯖、安房かつを、下野 稲葉牛蒡、美作高田硯石、大和よしのくず、河内石灰、松前おっとせい、丹波赤がえる、対馬昆布海苔、蝦夷鮭。(国会本はここまでですが..まだあるようです)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1306566
http://homepage2.nifty.com/ICHIYUSAI/medetaizue/medetaizue.htm
http://www1.s3.starcat.ne.jp/koten/sankpage/samokuji.html
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by shukugawans | 2012-04-28 17:03 | 描かれた阪神間 | Trackback | Comments(0)

摂西兵庫名所絵 甲山

昨日兵庫県のサイト「兵庫歴史ステーション」を見ていると、宝永7年間(1710)に刊行された『摂西兵庫名所記』の西宮の図をみつけました。
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/trip/html/about.html

摂西兵庫名所記 (宝永元版)は、寛政8年(1796)~寛政10年(1798)に刊行された摂津名所図会に遡ること約百年前の図です。

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縦長のページの手前に海と「沖ゑびす」、真ん中に「ゑびすの社」を中心とした「にしのみや」の街を描き、上部におなじみの「かぶと山」と「むこ山(六甲山)」を描いています。お椀をふせた形の甲山の姿は今と殆どかわりません。
また、第一殿にえびす大神、第二殿に天照大神、大国主大神、第三殿に須佐之男大神を祀る三連春日造りの本殿も描かれています。また沖恵美酒神社は、えびす様の荒魂(あらみたま)をお祭りしていおり、かつては荒戎町にありましたが、明治5年に境内に還されました。

この図が掲載されている『摂西兵庫名所記』は大正七年、神戸史談会によって復刻されており、復刻本は国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧することができます。この書物は絵ばかりではなく、その名所のいわれなどについても記しています。しかし、その記述は先に紹介した『摂津名所図絵』とほぼ同じであることから、摂津名所図絵が『摂西兵庫名所記』の記述をひいたことがわかります。

西宮の地誌について今まで調べたことがありませんでしたが、デジタルライブラリーやインターネットなどの普及によって、比較的簡単に調べることができるとわかり、ちょっとづつまとめて紹介してみようと思います。
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by shukugawans | 2012-04-26 03:26 | 描かれた阪神間 | Trackback | Comments(0)

西宮御前澳の桜鯛

少し前のことですが寛政8年(1796)に刊行された『摂津名所図会』(1796)に、秋里籬島が描いた甲山をご紹介いたしました。
http://shukugawan.exblog.jp/17859056/

きょうは、同じ本から御前浜澳の桜鯛釣りの図をかわきりにご紹介いたしましょう。

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西宮御前澳(おき)の桜鯛は
蛭子(えびす)三郎殿初めたまひしより世に賞す
これ我が国の名産にして唐(もろこし)に鯛ある事いまだだ聞かず
惣じて諸魚ともに網にて漁したるは次ぎにして
釣りかかりたる魚は至って美味なりと人のかたりき

というものです。

現在私たちが香櫨園浜と呼んでいる海ですが、
それは香野さんと櫨塚さんが香櫨園を開いた後のことで、
かつては御前浜と呼ばれていました。

この本に書かれている御前浜に関する記述を参考までに以下に書いておきます。
古くは奈良時代に編纂された風土記のなかに、御前浜(おまへのはま)に関する記述があったこと、そして平安期以降和歌にも詠まれていることがわかります。

そしてえべっさんと鯛の図は江戸時代にはたくさん描かれていますが、
西宮は鯛で有名であったこともわかります。

ところで、正面に見えるのは沖合から見た西宮の景色でしょうか。
そうであればまん中に見えるのは甲山かもしれません。


御前浜(おまへのはま)
いにしへはこの辺すべて廣田鄕といふ 今廃して、廣田村存す。一名、廣田浜ともいふ、古詠あり

『風土記』に云く。 神功香合、摂津国海浜の北岸、廣田鄕に至る。今廣田明神と号するこれなり。また海辺を号して、御前浜といひ、御前澳といふ。
※『風土記』は奈良時代に編纂され天皇に謙譲されたが、摂津国風土記は現在は伝わっておらず、逸文として内容の一部が知られている。

『夫木』※夫北和歌抄(ふぼくわかしょう)鎌倉後期の私撰和歌集。藤原長清撰、36巻。
神垣やおまへの浜の松風に波も打ちそふ里神楽かな  後京極摂政
いさぎよき光にまがふちりなれやおまへの浜につもる白雪  俊成
人はいさわれとはふまじ神垣や廣田の浜にふれるしら雪  広言
あはれみをひろ多の浜にいのりても今はかひなき身の思ひかな 定家

御前澳 おまへのおき
御前洋(おまへのなだ)

『千載』※千載和歌集 平安時期の勅撰集の一つ。藤原俊成撰、20巻。
はるばるとおまへの澳を身わたせば雲井にまがふあまの釣船  右衛門督頼実
『夫木』
朝なぎにおまへの沖をこぎ出でて雲井を生みのものとしりぬる 源信
しまきするおまへのなだは過ぎねどもけさの沖こそ思ひやらるれ 俊恵法師

『廣田社歌合』※平安時代、承安2年広田社(廣田神社)で開かれた歌合。
神垣やおまへの沖の松枝をふぶきにあらふ雪のしら波  読み人知らず
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by shukugawans | 2012-04-26 01:39 | 描かれた阪神間 | Trackback | Comments(0)