古書や骨董が好きです。歴史など調べるのことが好きですが、結構あきっぽく中途半端です。素人ですが、見たこと、聞いたこと忘れないうちに書いておきたいと思います。
by ふく
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幻の弾丸列車計画

戦前、弾丸列車計画というのがあったということをお聞きになったかとも多いと思います。戦後、東海道新幹線が開通には、その弾丸列車計画により買収されていた用地が役立ったとかと聞いたことがあります。

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東京から、下関までの東海道線にかわる、新たな輸送手段として、1940年には、鉄道省が「東京・下関新幹線建設基準」を判定し、帝国議会により『広軌幹線鉄道計画』が承認され、国家が1954年までに開通させることを目標とした十五カ年計画が策定され、用地買収が行われたそうです。

結果的には戦争によって1943年には工事が中断され幻の計画となってしまいました。この計画によると現在の東淀川駅に新大阪駅が作られること、新神戸駅は現在の新神戸駅を西に、神戸駅の北方に作られることが予定されていたそうです。

そして、新大阪、新神戸間は、現行の山陽新幹線と同じく、トンネルを掘ろうとしたそうです。でも今の新幹線のように甲東園でトンネルに入るのではなく、トンネルの入り口は芦屋付近が想定されていました。具体的には東淀川駅から庄内を経て、尼崎市内を通り、西宮北口駅付近では阪急神戸線と併走して走り、芦屋と西宮市境あたりで、トンネルに入るというような計画だったおそうです。

何か記録がないかと思って、神戸大学新聞アーカイブを見てみると。ありました。
1941年8月6日の神戸新聞と、1942年6月2日の報知新聞の記事です。

報知新聞の記事には「決戦下悠々たり世紀の大事業」東京←九時間→下関、京阪神を僅々三十分、実現するか”弾丸列車”国鉄が打樹てる技術陣、とあります。

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京阪神に関わる部分を抜粋すると、以下のようになります。

かくて京都に現れた列車は一直線に大阪に南下するが、ここでは淀川渡河を避けて大阪駅には立寄らず現在省線東淀川駅に新大阪駅を建設してそこから阪急高塚線服部に抜けようとする案で結局注目の新大阪駅は現在の淀川駅に決定をみているわけである服部から現在の省線、阪急神戸線の中間を渡って西宮北口で阪急線とクロスし北上した六甲山中に入りこのトンネルを潜って神戸に現れ、それから山陽線に沿って下関に至ろうという訳であるが、この六甲トンネルは日本一丹那トンネルの二倍強、全長十四キロに及び世界で第三番の長トンネルとして誕生する
このトンネル工事は丹那の如くに土砂の崩潰や湧水は比較的少く案外容易な工事と観測されているがなにしろ全長十四キロに及ぶ掘□作業なのでここから排泄される土砂は約百五十万立方メートルに及びこれだけで相当な小山が築かれようという莫大なもので工事事務所では土砂排泄鉄道を別に建設し内務省の神戸港拡張工事と並行して神戸港埋立土砂に使用しようとする計画を進めている

結局できることのなかった、この路線ですが、できていたら、満鉄のアジア号のような列車が疾走していたのでしょうか。ひょっとして阪急線の北側ですから、さてどこを通ったのでしょう。

下の方のブログにある予測では、
なんと弾丸列車の通過点は阪急以北。
平木中学校の南側から関西スーパー南側を抜けて、大社小学校北側から大井手橋の北方あたりに、さらにそのまま西にいって岩園トンネルのあたりまで地上を走り、
そこからトンネルを掘る計画だったというのです。

その弾丸列車が通ったならば、夙川をわったった位置ですが、
どうも、私がいつも散歩で渡る、川におかれた石のあるあたりのようです。


大谷町から土砂を運搬する鉄道があったという記述ももう少しおいかけてみたいと思います。
http://iso4z.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-50f9.html



お時間のあるかたは下のブログをどうぞ。
このブログをよく見ますと、高圧鉄塔の位置からその路線を推定されています。すごいな...と、思いました。


http://iso4z.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-deed.html
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by shukugawans | 2012-12-04 01:16 | Trackback | Comments(0)
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