古書や骨董が好きです。歴史など調べるのことが好きですが、結構あきっぽく中途半端です。素人ですが、見たこと、聞いたこと忘れないうちに書いておきたいと思います。
by ふく
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
カテゴリ
全体
古書のこと
おいしいもの
むかしのこと
犬のこと
西宮のこと
もろもろのこと
非公開調査中
本のこと
ブログ三昧
阪神間のこと
音楽のこと
描かれた阪神間
うまいもの随筆
未分類
最新の記事
西宮八景 考
at 2014-07-18 12:41
堀辰雄雑記
at 2013-09-14 12:33
江戸川乱歩と苦楽園
at 2013-08-26 15:55
新村出 南蛮更紗
at 2013-08-11 11:16
シュールレアリストは莫大小下..
at 2013-05-03 18:17
以前の記事
2014年 07月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 05月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
検索
最新のコメント
ときわ宮水餅 僕の実家..
by 小池正行 at 00:16
非公開にしないと見えるの..
by shukugawans at 10:44
とても魅力的な記事でした..
by 履歴書を書く at 12:17
いつもお世話になっていま..
by 凛太郎 at 13:19
残念でしたね。亡くなられ..
by akaru at 22:09
戦前の阪神合同バス時代の..
by 仁川メン at 16:33
こちらのブログにも お..
by MaYuLA at 22:17
メモ帳
記事ランキング
フォロー中のブログ
LA PETITE EP...
モダン周遊
最新のトラックバック
先史時代〜稲荷山古墳と大..
from ちょっと歴史っぽい西宮
ライフログ
タグ
ブログパーツ
ファン
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧


画家松葉清吾先生

子供の頃。 絵を習っていました。
二人の先生につきました。

最初は幼稚園の頃で、私の家やお友達の家が教室になり、幼稚園の同級生が住人ほど集まり、先生が来られていました。先生の名前は松葉清吾先生でした。


e0268888_16415843.jpg




この先生は抽象画を描かれる先生で、二科会に属しておられました。
画いておられた絵は、なんだかフォークのような形の人間という印象です。
とにかく、空に太陽を画くとめちゃくちゃ怒られました。
赤く丸い太陽なんて、本当にそんなものが見えるのかと。
確かに一理あり、その言葉は強烈な印象としてのこっています。

絵を習う以外の楽しみもありました。
お手製の香辛料入りのカレーを、たぶんフロインドリーブの山食パンと一緒に
子供たちにふるまってくださったり、 夙川河川敷で採取したクレソンをつけあわせにしてくださったり。 初めて食べた大人のカレーはあまり美味しいとは思えませんでしたが、とにかく不思議でした。

幼稚園を卒業した後も、竹園町の洋館の一角にあったアトリエに通いました。その後さらに雲井橋のたもとにある夙川自治会館の二階の教室に毎週土曜日にいっていたことも覚えています。最後に先生が甲東園の松籟荘に転居され、もう夙川の教室は閉鎖されるということになった小学校の高学年まで先生のもとで主に水彩画を画いていました。

その時はただ、それだけでいったいどんな先生かそれほど知りませんでした。
が、大学を卒業した頃にお会いしたKさんという方のご両親が戦前の先生をよくご存知で、あの人はとても素敵な人で面白い人だったといっておられました。
いろいろな人の話を総合すると、松葉先生は谷崎純一郎と親しかったようで 細雪の登場人物のモデルになっておられるということまでは知っていました。

それ以上はとても調べられなかったですが、最近
なにげなくネット検索してみると、
先生の名前が谷崎関連のことを調べておられる方の年表にでてきました。
谷崎潤一郎 詳細年譜1934年(昭和9年)4月の項目に「松子離婚、根津姓から森田姓に復帰。画家・松葉清吾が間に立った(中河)。清太郎が判を捺さないので勝手に押したという。家の表札も「森田寓」に変わった。」とあります。

http://homepage2.nifty.com/akoyano/tanizaki/1934.html

今日再び検索してみると、東京国立文化財研究所発行の美術年鑑昭和55年の項目として、以下のように記述されています。

松葉清吾 (洋) 昭和55年10月25日没
 二科会会員の洋画家松葉清吾は、10月25日急性心不全のため兵庫県宝塚市の自宅で死去した。享年80。1900(明治33)年10月13日堺市に生まれ、上京後20年に本郷絵画研究所に入り岡田三郎助に師事する。26年渡仏し、32年までパリに滞在、この間アカデミー・ランソンでジョルジュ・ビシェールに師事、また、アンドレ・ロートにもつく。はじめ光風会展、春陽会展、国展に出品したが、その後出品を止め独自で研究にあたる。50年、第35回二科展に「天使の歌ふ」等を出品し二科会会友となり、翌年「叫び」等を出品し会員に推される。以後、同展に制作発表し、九室会にも属した。64年、第49回展に「作品C」等を出品し、二科展会員努力賞を受ける。また、関西女子美術短大で教えた。抽象作品を専らにし、二科展への出品作に「作品B」(53回)、「緑の作品(2)」(59回)、「私の舟」(61回)などがある。

とのこと、え?私は岡田三郎助先生の孫弟子なの?っと今日改めて知ってびっくりしました。とともに、なぜ当時何も知らなかったのかと思うととても残念です。

先生の作品は芦屋市の美術博物館でも展覧されたことがあるようです。もうすぐ二科創立百周年ですので、不肖の弟子ではありますが、おいおい先生の作品これから調べてみようと思いますが、芦屋の美術館の展示にでていたシュールレアリスムの影響顕著な作品を一点あげておきます。


追記
先日コメントいただいた松葉清吾先生のこと、作品や詳しいご紹介でよくわかりました。ふくさんを教えられていた頃は、既に60歳前後のご高名になられてからでしょうか。次代の育成など教育に力を入れられた立派な先生だったんですね。先日コブレンツ雲井の少し上にある谷崎と松子がしばらく住んでいたという根津別荘跡を訪ねたところです。そういえば根津清太郎でしたね。あまり評判良くないですが、ニックネームはこのままにしておきます。谷崎の作品の中で、先生がどのように描かれているのか探すのが楽しみになりました。

[ seitaro ] 2012/02/06 7:33:36 [ 削除 ]
昭和55年に80歳ということは、最初にお会いした時、すでに60歳ぐらいだったというのを再認識してびっくりしました。こどもの視線でみると、高名な先生には全然みえませんでした。中学生の男の子など、そろそろ流行はじめたため口で先生をからかったりしていたような気がします。
ハイカラだなと思ったのですが、画家でご飯を食べるのは大変なんだなと何となく感じました。
根津別荘跡がどのお宅なのかは知りません。あのあたりずいぶん変わってしまいましたが、友人の家があったり、ピアノをならっていたりで、よく歩いていたので懐かしいです。夙川駅下のガードをくぐって北にむかう通り(いかりスーパーの前の道)をしばらくいった右側に二階建ての木造アパートがありました。そこも細雪にでてくるとか聞いたことあります。大昔にさらっと読んだことがありますが、一度ゆっくり目をとおしたいですけど、確か文庫本で3冊。ちょっと時間がないかもですので、seitaroさんの書かれる記事を楽しみにしています。
[ ふく ] 2012/02/06 12:32:30 [ 削除 ]
またまた良くご存知なので驚きます。甲南荘のことですね。谷崎潤一郎の細雪や大岡昇平の酸素などに名前を変えてでてきます。もはや新しい建物に替わっていますが、昨日記事に備えて写真を撮ってきたところです。
[ seitaro ] 2012/02/06 15:57:56 [ 削除 ]
ふだんはほとんど忘れているのですが、何かのことでふと思い出します。中途半端な記憶で思い出せなくていらいらすることも多々ありましたが、ネット検索できるようになり、手がかりがふえて、断片が結びつくというかんじでしょうか。せっせと思い出して、迷惑のかからないことをつぶやくことにします。
[ ふく ] 2012/02/06 19:51:19 [ 削除 ]
松葉先生は細雪に船員になってでてくるらしいです。母曰くで、未確認です。
[ ふく ] 2012/02/11 11:54:37 [ 削除 ]
[PR]
by shukugawans | 2012-02-06 22:40 | 西宮のこと | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://shukugawan.exblog.jp/tb/17683325
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< Great BritainとM... 西宮流,投稿時の使い勝手 >>